2010年6月29日
S.Stefano di Sessanio
陣内先生のお言葉を借りると、
「キラ星のごとく輝く」
そんな小さくて魅力的なまちは、
アブルッツォにもたくさんあります。
S.Stefano di Sessanioもそのひとつ。
標高約1200mに位置し、
メディチ家の統治下となり、
羊毛業で発展した歴史も持つ
中世の山岳都市です。

車や電車のなかった時代に発展した
これらのまちは、
スケールが歩く人の目線なので、
やはりまちを歩くのが楽しい。

入り組んだ迷路のような町並みを縫う楽しみ。

かと思うと突然視界が明るくなり、
美しいパノラマが広がったり。

坂を上りきると、
目の高さに美しい花が飾られていたり。

ヴェネツィアも然りですが、
車が走らないという、
ゆとりと贅沢は、
まちの空間に現れます。
また、
この地域独特の
灰色がかってごつごつした石の壁や、
まだら色の屋根が、
山の緑や空の青、
家に飾られた花の色を引き立てて、
素朴だけど美しい。
そして、
このまちには、
どこからも見えて、
まちを見守るように聳える塔があります。

ところが
こちらの塔が、
今回の地震で倒壊してしまいました。
話には聞いていましたが、
さすがにそこにあるべきものが
忽然と消えているのはショックなものです。

近づくと、
一部基礎は残っていて、
その存在を確かめることができました。
そして、うれしいことに、
現在この塔は再建中です→★
sakaeさんありがとうございました!
しかもここは、
近年、外資が入ったり、
アーティストが住み始めたことにより、
活気を取り戻し始めており、
8月に行った際も
既に多くのお店が再開し、
観光客の姿も見られ、
ビーニ氏と2人とても元気をもらいました。
私の大好きな、
ローマ出身の女性がひとりでされている、
手作り雑貨のお店も再開していたので、
嬉しくて思わず
買い物モードに切り替わってしまいました。

買ったものの一部がこれ。

いつかちゃんと宣伝できるようにと、日本で撮影。
S.Stefanoに行かれた際は、
是非お立ち寄りください。
La Bottega della Arti e dei Mestieri
0862-89645
(詳しい住所、HPはありませんが
歩いていたら見つかるはず。)
って最後はお店の宣伝で終わりましたが。
以上、サント・ステーファノディ・セッサーニオでした。
2010年6月27日
いよいよラクイラ市街へ
え、W杯って何かやってましたっけ??
・・・
どうしたことか、
6月24日の記憶がありません・苦笑
さて、
気を取り直して2009年8月のラクイラです。
この頃、
中心市街地のほとんどが、
立ち入り禁止区域となっており、
軍の監視のもと、
限られた道路からしか中には入られず。

私たちは唯一立ち入りが許可されていた
フェデリコ2世通りからドゥオーモ広場へ。

ラクイラは約7万人が住んでいた州都。
これほど大きな街が、
賑わいを失い静まりかえっている様子は
にわかには信じがたい光景でした。
大きなホテルや、

立派な映画館や

ショップが、

その日から、
時間が止まってしまったかの様。

支柱がかかった建物。

通りの脇からも被害の大きさが伺えます。
陣内先生の「南イタリアへ!」でも、
毎朝市場が開かれていると紹介されていた、
街の中心、ドゥオーモ広場。


その後、
街の象徴的な賑わいであった朝市が、
復活しているのか気がかりでしたが、
今年の5月から、
少しずつではありますが、
再開しているようです。→★
そして、
フェデリコ2世通りから
ドゥオーモ広場を挟んで伸びる
主要道路ビットリオエマヌエーレ通り、

まだ閉鎖されていた一部も今月6日に開通し、
ラクイラ中心市街地の主要道路が、
通行可能になったようです。→★
そして、
アブルッツォの教会の中でも、
特に好きなひとつ、コレマッジョ大聖堂。

※震災前の写真です。
前面の美しい広場が印象的ですが、

震災直後は避難場所となっていました。
私が行った時は写真も撮れなかったので、
ビーニ氏から頂いた写真です。
奥に見えるのが大聖堂のファサードです。
避難場所としてのテントは撤去されましたが、
建物自体も被害を受けていたはず。
と、
ネットでいろいろ探していたら、
2010年6月6日に、
コレマッジョでミサのテレビ中継があったことを
伝える記事です。
再建中の天井や柱がよくわかります。→★
我々は、
ラクイラを後にして、
サントステーファノに向かいます。
2010年6月17日
仮設テント村@Cansatessa
話を2009年8月のアブルッツォに戻します。
Goffredo氏と再会の約束をして、
Pganicaを後にした私たち。
ラクイラ市街へ行く前に、
ビーニ氏の息子パオロさんが
ボーイスカウトでボランティアをされていた、
Cansatessaの仮設テント村に立ち寄りました。

ラクイラ市街から西へ約5キロに位置する
Cansatessaには、
ラクイラ市の被災者が避難していました。
真夏の暑さを少しでも和らげるために、
テントには日よけのシートが張られていました。

敷地内には、
小さな教会や日用品店のほか、

ボッチェ(砂浜などで行うシンプルな球技。アブルッツォでは結構メジャー)場や、
サッカー、卓球場が作られていました。

また、ボランティアの人たちによって、
ダンスナイトや水遊びのイベントなどが、
企画されていました。

他にも、
みんなで集まって食事ができる、
大きな食堂テントや、
イタリア人には欠かせない集いの場Piazza(広場)も
作られていました。
多い時には2万人を超える被災者が、
こうしたテント村に避難していました。
まだ、ホテルや仮設住宅での生活を
余儀なくされている方は多いですが、
こうした仮設テント村は、
昨年12月1日の報告で、
全て閉村しています→★
2010年6月10日
L'Aquila dal sisma a oggi
アブルッツォの地元紙il centroのサイトで、
L'Aquila dal sisma a oggi(ラクイラ震災から今日まで)
というページを見つけました。
震災直後と今を写真で並べて比較していますが、
特に復旧状況については、
「全然変わってないやん!」と
思わず突っ込んでしまいました。
昨日紹介した
Paganicaの教会も、
私が行った頃のままで、
修復計画がまとまっていない様子。
この迷走振りは
先導役不在を感じさせますが...
個人や小さな行政単位の
努力だけでは何ともならないことは、
やはり国が先導して展望を見出してほしいな、と
切に願うのですが・・・

「L'Aquila dal sisma a oggi」内に写真があった、
Bazzanoの復興住宅は、
ちょうど私が行った時も建設が進んでいました。
2010年6月 9日
PaganicaでGoffredo氏と知り合う
Paganicaは、
L'Aquila市街から東に約7キロ、
グランサッソの麓にある小さな集落です。
行政的にはL'Aquilaに属している、
イタリアではfrazioneと呼ばれる分離集落です。
Wikipediaにもあるように、
今回の地震では、
同じくL'AquilaのfrazioneであるOnnaと同様に、
壊滅的な被害を受けました。
(注:以下は2009年8月8日現在の写真です。)
Pganicaに向かう道に、
Onnaの避難所がありました。

この辺りまで来ると、
瓦礫を運び出すための軍の車などが目立ち始めます。

補強・復旧作業のため骨組みが組まれた教会が、
Pganicaの中心市街地の入口でした。

ここで私たちを待っていてくれたのが、
ビーニ氏とは旧知の間柄でもある、
Goffredo氏(写真右)。

Paganica生まれで、
約30年間行政都市(capoluogo)であるラクイラで議員を勤め、
今は海外で活躍するアブルッツォ、特にラクイラの人々の
コミュニティネットワークをつくり、
その活躍をメディアなどで紹介することをライフワークとしています。
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少し話は反れますが、
その時に彼の著書を頂きました。

2006年から2007年にかけて、
主に海外で行われたラクイラやアブルッツォに関わるイベント、
アブルッツォ出身者の活動や活躍をまとめたものです。
そして本日6月9日、
彼の新しい本の出版記念イベントがあるそうです。
タイトルは"L'Aquila nel Mondo"
Invito - L'Aquila nel Mondo.pdf
2008年から2009年末までをまとめたもので、
震災前後のアブルッツォや世界で活躍するアブルッツェーゼの
動きを知ることができる貴重な本だと思います。
彼は普段もメールマガジンで
世界中のアブルッツェーゼに向けて
世界中のアブルッツェーゼから送られてきた
プレゼン映像などを配信してくれています。
私もいつか日本から発信できるように頑張ろう。
そしてそんな人と引き合わせてくれた
ビーニ氏に感謝。
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さて、
そんなGoffredo氏の案内で、
当時立ち入り禁止区域となっていた、
中心市街地内を歩きました。
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アブルッツォの人は、
辛いし悲しくなるからと
こうした写真を見たり紹介するのを
避ける方が多かった印象を持っています。
私も地震から時間が止まった町を目の当たりにすることは、
とても胸が痛みましたし、
それはブログを書いている今も同じです。
じゃあ何のために?!
と自問自答することもありますが、
この場では、
ただ自分が見てきたものを
報告できたらと思います。
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立ち入り禁止テープが張られたまちの入口

役場の前の道

役場や教会、カフェが集まる町の中心広場

広場から伸びる道

住宅が密集した脇道

ルミナリエが残る教会までの道

比較的新しい家屋も大きな被害を受けています

町の端にある修道院は全壊してしまい、
隣に日本の建築からもヒントを得たという、
木造の修道院が建設中でした。
あれから1年以上が経ちました。
町の復旧は進んでいるのか、
住民さんたちは戻ってきているのか、
今年もまた、
ビーニ氏やGoffredo氏に会う機会を作って、
確かめに行きたいと思っています。
2010年6月 7日
abruzzoガイドブックげっつ
あまりにも逞しくなった太ももに驚愕...!
これは"いよいよ"と、
このところ、
朝からジョギングやらスイミングに勤しんでおります。
ダイエットの効果こそまだ表れていませんが、
体を動かすのはやはり気持ちが良いものです。
さて、
イタリア旅行に行っていた加ト吉君が帰ってきました。
そして、
何とも嬉しいことに、
アブルッツォガイドを2冊も買ってきてくれました!
よりによってアブルッツォ版だけ無かったりで、
結構探してくれたようで...
ホンマ、ありがとう!

1冊はお馴染み、
DEAGOSTINIのガイドブック。
私が始めてアブルッツォに行った時に
購入したモノの改訂版。
デザインが大きく変わって、
すごく見やすくなっている!
そしてもう1冊は、
ツーリングクラブイタリアが出している、
若者(というか子ども)向けのガイドブック。

ガイドブックというよりは、
ゲーム形式の問題なんかもあって、
楽しいアブルッツォの教科書という感じ。
もちろん、写真やイラストも多いし、
字も大きいし、
表現も比較的分かりやすいし...
私(のレベル)にはピッタリなのでとても嬉しい!
さすがのナイスセレクト2冊!
これでしっかり勉強しよ~♪
加ト吉君ありがとう!!
2010年5月17日
テロップの「アブルッツォ」に感動する
全国1億2千万人(?!)のアブルッツォファンの皆さん、
こんばんは。
本日の「小さな村の物語イタリア」はご覧いただけましたか?
私は勿論、
例によって友人の家で、
美味しいカレーをご馳走になりながら、
かぶりつきで楽しみました。
いつもホンマにありがとう。
そうです、
今日の村はアブルッツォ州の
Castrovalvaカストロヴァルヴァ

まずオープニング早々、
テロップとして流された
「アブルッツォ州」に感無量。
※嬉しさのあまり、
この後もテレビに映るアブルッツォを
写真に撮りまくってしまいました・苦笑
雪の季節でしたが、
その山並みの美しいこと。
時々遠くに見えていたのは
マイエッラじゃなかったかな~
そして、
その山に鷹ノ巣の様に張り付く小さな村。
またその瓦の美しいこと。

ホント、
エッシャーはどうやって
この小さな村とめぐり合ったんでしょうか。
過疎化、高齢化が進み、
今では20人に満たない住民しかいない村ですが、
村を愛し、営みを続ける人々の生活を
垣間見ることが出来ました。
時々聞こえるアブルッツォ訛りにも耳を傾けつつ。
今回の主人公はCastrovalvaに戻って
アグリツーリズモを始めた女性
(羊を飼い、チーズやサラミを自家製してました)と、
村の歴史を地域の新聞に綴り続けるおじいさんでした。
そして最後にその女性が言っていました。
「小さな村で暮らしているからこそ、
人間的なあたたかい絆が築けるんです。」と。
まさにそれこそが、
いつもこの番組で気づかせてくれることです。

今日見逃された方、
来週も再放送してますから、
是非ご覧ください。
※写真は放送中にテレビ画面上から撮ったものです。
2010年5月16日
今最も会いたかった方に会えました(T_T)
まだかなり興奮状態ですが、
このブログでも何度か私のバイブルとして紹介しています、
「南イタリアへ!」の著者でもあられる
陣内秀信さんに、
ついに、ついに!
会って更にはお話までさせて頂く機会に恵まれました。
ずっと、会いたい会いたいと思い続けて11年!
まさに感無量(T_T)
最近はNHKにも出演されていたので、
ご存知の方も多いと思いますが、
まさにイタリアの都市・建築史研究の第一人者です。
来週からイタリアに行く加ト吉君と、
このところ陣内先生の本を
改めて読みまくってたこともあり、
「こんなに会いたいのに、
どうやったら会えるのか、
いっそいつ東京に行ってしまおうか...」
と真剣に話していたぐらい会いたかった方です。
そんな陣内先生が、
なんと今日大阪で講義をするらしい、
と加ト吉君が教えてくれたのが昨日の夕方。
生講義が聴けるなら是非!と今朝予約を入れて行ってきました。
建築や都市計画の専門家や学生ばかりの集まりだろうと思っていくと、
少しご年配の、しかも大半が女性の
なんともアットホームな講座。
これはいい意味で裏切られました。
ちなみに講義は、
ヴェネツィアから始まって、
江戸、大阪に至るまでの
水の都市の話。
たくさんの写真を使った、
楽しくて分かりやすい講義でした。
講義中も、
生陣内先生の講義を受けていることに、
涙が出そうなくらい感動してました。
で、結局講義後の懇親会にも参加することにして、
陣内先生に
「アブルッツォ愛」を短時間で一生懸命伝え、
ちゃっかり
読み始めていた先生の著書に
サインまで頂き、

有り得ないくらいミーハーパワー全開で、
終始感動の時間を過ごしていました。
陣内先生、
本当に有名な方ですが、
気さくでノリの良い方で、
ますますファンになってしまいました。
先生が講義のまとめで話しておられた言葉。
「まちづくり」から「まちづかい」へ。
「つくる」という言葉に、
私個人としては少し恐れ多さを感じてましたが、
「つかう」ということなら
私にも何かできることがあるかも知れない。
そう思えました。
私ができるアブルッツォでの「まちづかい」を
しっかり考えていこう!
改めて心に誓ったのでした。
今回、ひょんなことから参加したこの講座。
中心になって動かれていた方も、
他の参加者の方もとても魅力的な方ばかりで、
そうした新たな出会いにも感謝した一日でした。
加ト吉君、ホンマにありがとう。
懇親会中もお世話かけてすみませんでした...!
でも、かなり楽しかったね♪
2010年4月27日
こんなん見つけました
貰いっぱなしや買いっぱなしで
何があるかもよく分からなくなっていた、
アブルッツォ本&資料の棚をゴソゴソしてると、
すごいもの見つけました。
これ↓↓↓

'viaggio in abruzzo'漫画で読むアブルッツォガイド!!!
...て。

お~、ちゃんと行ってますね~、
コレマッジョ教会に99の噴水...
会話形式で説明が続きます。
確かに文字ばっかりよりは
楽しめるかな~と思ったり思わなかったり。
でもね~
ヒーローがね~
格好よくないんだよね~
誰かにもらったんだと思いますが、
既にどこで手に入れたか記憶になく。
そしてなぜかラクイラとテラモバージョンのみ。
キエティとペスカーラも手に入れよう、かな。
これ、意外(失礼)と好評だったのか、
やるならとことんと思われたのか、
英語版「アブルッツォ旅行」など、結構いろいろあるみたいです。
4ユーロ位からで手に入ります。
↓↓
studio di vitto editoer
(妙なアナウンスが流れ続けますので、お気をつけください。)
「さあ、漫画のヒーローとアブルッツォを旅しよう!」
皆いろいろ考えるな~
2010年4月21日
羊飼いを見守る教会
遠い国の出来事だと思っていたアイスランドの噴火。
ところが、
タイミング良くというか、悪くというか、
アリタリアの友人たちが日本で足止めをくらってしまったおかげで、
その間いつもとは少しリズムの違った日々を過ごしてました。
昨日無事、帰国。
さて、話は戻って昨夏のアブルッツォ。
私たちは少しずつ高度をあげながら、
Paganica、L'aquiraへと向かいます。
このあたりを車で走っているとポツポツと
単独で建つ教会が現れ、目をひきます。

原っぱにポツンと建つ教会は、
まちなかにあって、その前には広場があって、
まちの人々の交流の場となっている...
という教会を見慣れた私にとってはどこか不自然にも見える風景。
でも今回そんな教会を眺めながら、
やっと気がつきました。
羊の牧畜や羊毛工業など、
羊が経済の繁栄を担ってきた歴史を持つラクイラ。
しかしながら高地で冬が寒いため、
冬を中心とした1年の半分は、
羊達は南のプーリャへ向けて移動をしていました。
そう、これらの教会は、
プーリャへと向かう羊飼い達の心の拠り所として、
体を休める場として建てられたのではないだろうか。
そう考えると、
こうして点在しているのにも合点がいきます。
今度ビーニさんに会ったらちゃんと確かめよう。
とか思っていたらそれを裏付けるサイトをいくつか発見。
↓この教会、Santa maria dei Centurelliをサイトで検索したら
ちゃんと説明がありました。
(イタリア語だからキーワード拾っただけですが...)
それによると、
やはり羊飼いの道中に点在し、
どうやら道しるべとしての意味合いも大きかったようです。

そんな季節移動の歴史を見届けてきた教会も、
震災の影響を受けていました。



いつも何気なく見て、感じるだけでしたが、
この機会に、
頑張ってアブルッツォの歴史の資料なんぞも紐解いてみようか、
みまいか...(てか、みろよ)
2010年4月16日
Bussi sui TirinoからCapestranoへ
Giannaさんのブログ経由で、
ここに来て下さったくみこさん。
なんと今年の夏はご家族とアブルッツォで過ごされるということで、
便乗して私のアブルッツォ熱も上昇中。
ガイドブックを引っ張り出したりしていると、
やっぱりいいとこですよ、
アブルッツォ!!
いや~、魅力再認識。
それにしてもまだまだ行ってないところも多いな~と
自分の蓄積のなさも再認識。
そんな訳で昨夏(!)のアブルッツォ記再開。
アンナマリアたちの住むSambucetoを出発して30分もすると、
もうそこはグランサッソ国立公園(il Parco Nazionale GranSasso-Monti della Laga)内。
そして、最初に私たちを迎えてくれる町がBussi sui Tirino。

私の中でのアブルッツォの原風景のひとつでもある、
美しい山岳の城壁都市(Borgo)が姿を現します。


何度みても、
山並みの中に現れるまちの姿は美しいな。
ビューポイントでスッと車を止めてくれるビーニ氏。
このあたりは、同じBorghi好き同志説明がいらないのでありがたい。

そして、私が見とれてる間に「イチジク!イチジク!」と
イチジクの木を見つけて興奮する食い意地の張った私のために、
イチジクを収穫してくれるビーニ氏。
二人でイチジクをほうばりながら、目指すはCapestrano。
こちらも同じく中央に聳えるお城を中心に広がった、
中世の山岳都市(Borgo)。
長い歴史の中ではメディチ家が統治していたこともあります。


そして、このまちを有名にしたものといえば、
↓こちら!Il Guerriero di Capestrano(カペストラーノの戦士)

おそらくアブルッツォを訪れたことのある方なら、
どこかで一度は目にされているはず。
男性にも女性にもみえる、
ユニセックスな曲線。
足は馬の様にも見えます。
そしてやたらつばの広いかぶり物。
その独特の姿は一度見ると印象に残ります。
紀元前6世紀頃の古代イタリア文明を物語る貴重な像です。
la statua funerariaとあるので、
お墓に一緒に埋められたものなのでしょう。
Cheitiの考古学博物館で見ることが出来ます。
1934年に、偶然畑仕事をしていた農民によって
このCapestranoで発見されました。

ビーニ氏の家でもレプリカを発見。
好きだな、この人のアブルッツォマニアなところ。
Capestranoも遠くから眺めて終了。
Barisciano、Paganicaを目指します。
2010年4月 6日
ご報告が遅くなりすみません・・・
なんだかここに来るといつも反省をしてる気がしますが...
今日も懲りずに反省しながら書いてます。
2009年の4月6日、
308名の犠牲者を出した大地震がラクイラを襲いました。
あれから今日でちょうど1年です。
遠くにいながらも何かできることを、
と昨年の7月から始めた支援募金のご報告が、
今になってしまいすみません。
おかげさまで、
本当に多くの方のご協力のおかげで、
約2週間で23,340円が集まり、
それを持って昨年8月にアブルッツォに行ってきました。

(夏の第1陣はアンナマリアたちと一緒に集計しました)
その後も、
「もうちょっと貯まってから渡すよ」と
店頭や家に置き続けてくれた方、
定額給付金(!)をそのまま下さった方、
貯めていた小銭を貯金箱ごと下さった方...
「できることがあるなら」と
快くご協力くださった全ての皆様に、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、今日現在、
募金は54,249円にのぼりました。
本当にありがとうございます。

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さて、その募金の送金先ですが、
当時アブルッツォでは、
政府の募金の使途について、
本当に必要なところに使われていないという
住民の怒りが結構飛び交っていました。
(G8の来賓用に金の蛇口を作ったとか...)
私に対しても、
「何に使われるか分からないから止めた方がいい」と
いう人がいたのも事実です。
そこで、ビーニ氏と相談し、
大きな組織ではなく、
小さな村で気持ちを伝え、
大切に使ってもらえるところに
送金しようと決めました。
そして、
市長(村長?)がビーニ氏の友人ということもあり、
PrataD'Ansidoniaへの送金することを決めました。
ラクイラの市街から東に約20キロ、
サフランの畑が多くみられるエリアにあります。
人口は2007年現在で547名の小さな村です。
ペルトゥイヌムの古代ローマ遺跡città romana di Peltuinumや、
中世の城壁都市遺跡CastelloCamponeschiなど、
州でも重要な歴史遺産を多く持つ村です。

Peltuinumにて(ビーニ氏撮影。ちょっと登場してみた)

以前州の視察でも訪れたCastelloCamponeschi

残念ながら昨夏ビーニ氏と避難所を訪れた時には、
村長のフランチェスコ・ディ・マルコ氏とはお会いできませんでしたが、
震災直後の写真を頂いたので..
左がディ・マルコ氏、右はビーニ氏。

募金第1弾を郵便局から送金しているところ。
この時の募金の多くは、
バールウノで集められたものであったため、
ビーニ氏の提案で
「バールウノの仲間達より」
として送金しました。
後日、ビーニ氏経由で村長さんからのお礼の言葉を頂きました。
この村は復興プロジェクトとして
芸術や職業訓練(職人養成??)校
(この日本語がどこまで正確か微妙ですが)
の計画も進んでいます。
そうした村の、アブルッツォの未来へ、
少しでも役立ててもらえることを願っています。
そして、
昨年の渡伊以降にお預かりしている
残りの募金についても、
送金しましたらご報告させていただきます。
また、
次回こそは是非村長さんとお会いして、
これからのまちづくりのお話など聞いてみたいなと
思っております。
最後になりましたが、
沢山の方にご協力いただいておきながら、
ご報告が遅れてしまい本当にすみませんでした。
え、アブルッツォサイト...?!
そうです、これも心入れ替えて頑張ります。
こんな私ですが、
今後ともどうぞよろしくお願いします。
2010年3月21日
そして濃厚な(!?)アブルッツォ24時間1本勝負。
もうひとつ舞い込んで来たアブルッツォネタ。
(写真無しの上、やたら長いです)
花粉症でボーっとした頭でメールを見てると
「Sono ad Osaka!(大阪におるで!)」というメール。
おおぉ~!ダリオ!
ダリオとは...
1年半ほど前に在阪イタリア人友達の紹介で知り合った、
アリタリアのパイロット、
で、アブルッツォ人。
その後ミラノ―関空便がアリタリアから消えてしまい、
なかなか会えずにおりましたが、
久しぶりにローマ―関空での来阪が実現したのでした。
しかも今回は、
同じくアリタリアのパイロットである従兄弟のジュリオも一緒。
ということで、
早速Giannaさんもお誘いして宴をセッティング。
しかも嬉しいことに、
某伊料理店の優秀なカメリエーレS君のお休みが重なって、
このマニアックなアブルッツォナイトに参加してくれることに。
私の理解違いでお店の用意ができていなかったのですが、
そこはS君、
お魚が美味しくて有名なお店を思い出してくれて一同移動。
春を感じる釜揚げシラスや桜海老のかき揚げ、筍の炭焼き...
普段なかなかお目にかかれない、
鰆や金目、太刀魚にアナゴなどの豪華なお刺身。
とにかく、新鮮なお魚と旬の野菜を堪能しました。
食べるのも飲むのも大好きな人ばかりの集まりというのは、
ホント、恐ろしい勢いで...
ここには書ききれない程、食べて飲みました。
そして、食前酒として飲んだ梅酒をえらく気に入った彼らは、
翌日お土産に買ってました。
2件目は、
ジュリオの「ブラジルで飲んだカイピリーニャが美味しいから、皆に飲ませたい」
という一言で、これまたS君のアシストでアブサンへ。
外国人が集まる店として有名らしいけど、
本当にすごい外国人の数。
しかもご希望のカイピリーニャもメニューにあって、
まずは全員でオーダー。
これがライムたっぷりですごく美味しくて、
私、ダリオ、ジュリオはひたすらこれを飲む。
この店、
アルコール度の高いお酒でいろいろなパフォーマンスをしてくれたり、
水タバコが楽しめるので、
いつもと違った雰囲気でお酒が飲みたければ、是非お試しを。
結局、この日の宴は2時まで続く。
翌日お仕事だったGiannaさん、S君お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
そして話はここで終わらず。
とにかく彼らにとって、
私の見事な(?!)アブルッツォ訛りがたまらないらしく、
しかも、彼らの実家は私もなじみのある場所なので、
またまた地元ネタで盛り上がる。
共通の知り合いも遂に判明!
ダリオに至っては、その盛り上がりの勢いのまま、
なんと翌日私の仕事に付いてくることに!
この日の仕事は、
神戸の図書館と市役所で情報を収集するというものでしたが、
「俺がいないつもりで仕事に集中してくれたらいいから」と、
本当に同行。
朝ホテルで待ち合わせて、(←家にはちゃんと帰りましたよ)
朝食を一緒に取って、
ウノでエスプレッソ飲んで景気付けて、
いざ神戸へ。
こんな大きなおっちゃんどこに行っても目立つのに、
よりによって役所とか図書館という、
極めて外国人率の低い場所に同行となると、
「いないつもり」
なんか到底できないくらい存在感ありまくりだったはず...
パイロットなんて、
空港で見かけると
「きゃ~」と目がハートになるくらい格好いい存在ですが、
隣にいるのは、本当に普通のおっちゃんで、
何度も制服姿は格好いいかも知れないと、
一人妄想コスプレしてテンション上げてました。
せっかくの神戸なので、
南京街で餃子食べたり、
市役所の展望フロアで
おばちゃんや修学旅行生に交じって関空探したりと、
観光も交えながら何とか業務遂行。
帰りの電車では、
パイロットの血が騒いだらしく、
運転席の後ろを陣取り、
秒刻みで管理された日本の運転技術を堪能する。
久しぶりに、
かなり長時間アブルッツォ訛りのイタリア語を
駆使し続けたこともあり、
大阪に戻ってきた頃にはかなりぐったり。
それでもある意味お互いかなり貴重な経験をしたよな...
いや~濃い24時間だった・・・
ちなみに、
S君が働いているお店は、
前々からアリタリア航空の皆さま御用達のお店だったらしく、
私と別れた後は
スタッフ皆でそちらでディナーを楽しんだそうな。
そう思うと世間は狭いもんです。
皆さま、次回渡伊の際は是非アリタリア航空をご贔屓に。
Giannaさん、S君これに懲りずまた遊んでくださいね。
ありがとうございました。
2009年10月 9日
子どもたちに人気のおもちゃは...
"今日はお昼が遅かったから、夜ご飯は9時スタートやからな"
とマリオに言われて、
美味しいものが頭にふわふわと浮かびましたが、
残念ながら(おいおい)友達の家で食事なのです...
短い滞在期間、
1年分のアンナマリアの味を蓄えておきたいけれど、
意外と一緒に食事をする機会が少なかったりします...
アブルッツォ初日の夜は
おなじみ、
キエティのピーノ家で食事です。
毎年のことながら、
子どもたちの成長ぶりに、
時間の経過を嫌というほど思い知らされます。
小さい時は私のそばを離れなかった子どもたちも、
"友達の家に行ってまだ帰ってない"
とか言われた日には寂しかったり、
そうか、子供たちだけで遊べる年になったかと感慨深かったり...
イタリアに行く前、
子どもたちのお土産にと100均で買って行った
"ファンシー"な文具やおもちゃ。
エマヌエラのお気に入りは、
"手がびょんびょん伸びてそこらへんにひっつくやつ"でした。
そして遊びに来ていたエマヌエラの友達は
i-podのピアノゲームに夢中。
去年はPCでストップモーションアニメを作って
私をビビらせた天才少年フランチェスコは、
今年は自分で作った曲をピアノで披露。

曲が頭に浮かんできて、
一度弾いた曲は忘れないらしい...
私には未知の世界。
輝かしい未来が待っていますように...!
そして、今どきの共働きファミリーの食事(とか言ったら怒られるか...)
前の日がフランチェスコの誕生日会だったというのもありますが、
ワインもパスタも影をひそめ、
ビール、コーラ、ファンタ、ピッツァ、サンドイッチ...
パーティメニューが並んでおりました。
食後はお決まりのパッセッジャータ(散歩)。
近所の公園がリニューアルされたとかで見に行くことに。
好き嫌いは分かれましたが、
遊歩道が舗装されたり、
池に奇麗な橋がかかったりして、
賑わっておりました。

夜の11時にテンションマックスで遊ぶ子供たち
どっちかというと、大人の方が眠さと闘ってます。
広場に特設されたkaraokeコーナー。
意外と皆シャイで、お世辞にもあまり上手とは言えず...
時間が経つ程浮いていく、
ノリノリ(をキープするのに必死)だったDJのお兄さん...
ご苦労さまです。
夏の夜はまだまだ終わりそうにないですが、
明日も早いし...と、
ぐずる子どもたちを引きずりもって帰ってきました。
2009年10月 1日
いざ、アブルッツォ...!で、また...
「タクシーで駅まで行くなんて割りに合わないわ」
とインフォメーションのお姉さんに言われたので、
帰りはゴロゴロとスーツケースを転がせて、
Macerata駅へ。
MacerataからS.Benedetto del trontoまでローカル線、
そこからはインターシティに乗っていよいよPescaraCentraleです。
お昼のスパゲッティを用意してもらうために、
2時頃には家に着きそうだと
アンナマリアに電話で伝える。
S.Benedetto del trontoからPescaraまではインターシティで約40分。
バスに乗る時間も含めて一時間もすれば
待ち焦がれたアンナマリアのスパゲッティ!!

電車では若いお姉さんと老夫婦と同じコンパートメントに。
Signoreは渋いええ声で、背も高くて、
昔もててただろな~という感じの素敵な方。
やはり南に行くほどフランクになるのか、
長旅に退屈していたのか、
新入り(私のこと)歓迎ムードで電車が動き出した頃には
私への尋問が始まる。
聞けば皆バーリの人だったので、
プーリャは大好きだと伝えると、
"それならあんた、プーリャ人と結婚するべきだよ、
プーリャの男が一番。
プーリャ人程働きもので、優しい人はいないよ"
"そうだ、それがいい、それがいい"
と満場一致でやたら盛り上がる。
じゃあええ人紹介してください。
よろしく。
Giulianova→Pineto...
なじみのある駅名を通過する度にソワソワ。
乗り合わせた皆とも、
"もうすぐPescaraだね~、
美味しいスパゲッティが待ってるのか、そりゃあいい!"
とワクワクした気持ちを分かち合う。
...と、
なぜか停まらないと思っていたSilvi駅で停車。
しかも、5分経っても10分経っても発車しない...
例によって何のアナウスもなく、
乗客皆が"あれ、なんかおかしい..."とざわつき始める。
またかよ~!!!
うんか、すん位言うてや...。
とりあえず待たせているアンナマリアに電話。
すると、なんと、
マリオがukoと一緒に食べるからと、
お昼を食べずに待ってくれているらしい。
1日の中でも特に食べることのリズムが完璧なくらいに決まってて、
12時にパスタのお湯が沸いてないと、
機嫌が悪くなるマリオが待ってくれている...!
それはそれは嬉しいけど、
こんな時に限って電車が止まって未だ情報も得られず。
どうか、今からでも先に食べててくださいとお願いしても、
"待つ"
と言ってきかないらしいので、
しょうがない、
あとは電車が1分でも早く動き出すよう、
祈りましょう。
そんな時、情報収集に出かけて席を離れていたSignoreが、
そこら中の乗客に質問攻めにあいながら戻ってくるも、
"線路の問題"
ということ以上分からなかったらしく、
結局、直ぐに動き出すのか動き出さないのか解釈に苦しむ皆に、
"そもそも最初っから、トラブルもなく無事に着くなんてうまい話はない。
こんな時は、良いことも悪いことも想像するな、
無になれ"
と諭すSignore。
さすが。
皆固唾を呑んで発車のベルが鳴るのを待つ。
結局、30分程で動き出す。
まあ、まだマシな方かとホッと一息。
なんとか無事にペスカーラに到着!!
"走れ走れ!スパゲティがちょうど茹で上がってるぞ!"
Signoreの言葉を背に、あとひとっ走り!!!
マリオ、アンナマリーア今行くで~!!
2009年8月16日
ただいま

(ラクイラ県、サントステーファノディサッサーニオにある大好きなボッテガが再開してましたので記念に)
どっぷりイタリアに浸かって帰ってきました。
満喫した~!!
と思ってたけど、
帰ったとたんイタリアシックです。
結局、giovaさんが行かれた
Macerataの野外オペラにどうしても行きたくなって、
本当に家を出る10分前にチケットだけを予約して日本を脱出。
気分次第、人次第で、
ミラノから出発した旅は南はソレントまで。
アブルッツォではアブルッツォ州のビーニ氏と
丸一日かけてラクイラの被災地を見学。
予想を大きく上回る被害の大きさに心を痛めています。
後日、州事務所にもお邪魔して、
皆さんにご協力頂いた募金の送金もしてきました。
詳しくはまた後日ご報告します。

(アブルッツォ州の皆さんと。募金箱を持っているのがビーニ氏)
何せ、
やっておきたかったことをして、
会いたかった人にあって、
食べたいもの食べて、
観たいものをみて...
後半は会社の電話は完全オフにして、
満喫してきましたので、
また(というか今度こそ)日記頑張ってアップしますから
また読んでくださいね。
明日から仕事。
前進あるのみやな...
2009年6月26日
DOMANIの続き

(ラクイラを代表する中世ロマネスク様式の教会。
サンタマリアディコレマッジョ。
平面的で独特なファサードと色彩が大好きです)
6月18日には手元に届くはずだった
アブルッツォへの震災チャリティCD「DOMANI」
未だ届かず...
入荷待ちとか...
実は一人でも多くの人に聴いてもらいたくて、
結構まとめて買いました。私。
だからか...??
そして、すでに聴かせた人に
「(歌詞が)何言ってるか全然分からん」
と言われたので、
せっせと訳というものをしてみました。
私が知ってる中で一番日本語が達者なイタリア語の先生を捕まえ、
(漢字テストとかしたら負けそうなぐらい)
二人でああでもない、こうでもないと訳しました。
歌詞の世界だから、
そこで例えようとしたこととかどんなに想像しても
正解は本人しか分からないことだと思うと、
深いというか難しい...
要は日本語の表現力なのですが、
ネットでの公表は恥ずかしいのでやめておきます。
そこで改めて歌詞の世界に触れたのですが、
実はこの歌詞の中に、
アブルッツォの方言で歌ってくれてる箇所もあるのです。
粋やな~と思います。
しかも大好きなFabriFibraがラップで歌ってます。
それがここ↓
comu le scole,le case e specialmente lu core
e puru nu postu cu facimu l'amore
イタリア語にすると↓
come le scuole,le case e specialmente il cuore
e pure un posto cui facciamo l'amore
―例えば学校や家、そして何より心を、
そして愛を確かめる場所を(立て直していこう)
冠詞 il が lu になったりするのはナポリ弁とかと似てるのかな。
標準的なイタリア語に比べてあまり口を開けずに、
「クシュクシュ」した雰囲気があります。
比較すると面白いので一度声に出して読んでみてください。
ちなみにこのブログのタイトル
Steng''bbone
もアブルッツォの方言で
Sto bene(私は元気です)
私たちが大阪弁を話すように、
やっぱり、向こうに行くと向こうの方言を話したくなります。
難しいけど少しずつ覚えていきたいものです。
***********************************
今回、CDの到着に合わせて
震災の被害などを改めて調べてます。
日本では震災2週間後くらいから殆どニュースで伝えられなくなりましたが、
数字で現状を見ていただくと、
どれだけ大きな震災であったかがわかって頂けると思います。
また当然ながら決して過去のものでないこともよくわかります。
●6月21日イタリア防災庁発表の被災者避難状況
仮設テント 22,875人(テント数5277)
ホテル 20,987人
個人宅でのステイ 9,578人
計 53,440人
また政府が被害の大きかった45のモニュメント、教会、公共建築をシートにまとめています。
こちらから
これらの修復のために政府が設立した義援金受付口座もあるそうです。
遅ればせながら支援金のご協力をお願いする予定です。
このサイトでも紹介したアブルッツォ州観光開発局のビーニ氏から
頂いた情報も合わせて発信しつつ、
集まった支援金はアブルッツォ州が設立した支援金口座に寄付する予定です。
ちなみに政府指定の復旧が必要なモニュメント等は45ですが、
州の調査では実際に1000はあるだろうとのこと。
少しでもお役に立てればと考えています。
また改めてお知らせします。
どうぞよろしくお願いします。
2009年5月30日
DOMANI~non siamo cosi soli,domani e' gia' qui
バナーがおかしなことになっていますが...
昨日素敵な音楽に出会いました。

"DOMANI"
4月6日に起こったアブルッツォ州での震災からわずか2週間後に、
イタリアを代表するミュージシャン、
なんと総勢56名!がミラノに集まり、
素晴らしいアブルッツォへの応援歌を作り上げました。
不安な夜に、
この曲を聴いてどれだけの人が励まされたかと想像するだけで、
胸が熱くなります。
この曲は、
素敵な写真と楽しいイラストを交えたアブルッツォブログ、
"BELL'ABRUZZO"を立ち上げられた
ジョバさんに教えて頂き、
昨日早速i-podにダウンロードしました。
第一声から大好きなLIGABUEで、
この時点から鳥肌が立ちっぱなしです。
世代もジャンルもレコード会社も超えて、
個性と才能に溢れたミュージシャン達の結晶です。
彼らが発する暖かいメッセージは、
被災者の方たちへはもちろん、
私たちにも本当に元気をくれる一曲です。
普段イタリア音楽にあまりご縁がなかった方も、
是非聴いてみてください。
レコーディングの様子をまとめたミュージッククリップも大迫力です。
イタリア音楽ファンの方は目から涎(!?)が出そうになりますよ。
それぞれの皆さんの顔が本当にいいです。
(HPからも見れますが、ダウンロードに時間がかかるのでyoutubeでどうぞ)
アマゾンで6月16日からCDが購入できるみたいです。
収益金はアブルッツォへの寄付となるとのこと。
一人でできることは小さいかもしれませんが、
是非皆さんのヘビーローテーションにしてください。
追伸、この曲のオリジナルは元PFMの
Mauro Paganiの同タイトル曲です。
美しい曲です。
2009年5月23日
おい私。
F1時々見てましたが、
全然知りませんでした..
.J.トゥルーリ、故郷の地震被災地を訪問
て。
しかもペスカーラの方だったのですね。
「ハミルトン♪」とか言うてましたが、
にわかですが、
モナコからは熱烈応援させていただきます。
4月6日の震災義援金も募られています。
私の震災支援金計画、
呆れられてそうですが、
気持ちばっかりあせってます。
近くお知らせしますので、
すみません、
よろしくお願いいたします。
2009年4月17日
最近アブルッツォがかなり私の脳を支配しています。
今回特に被害の大きかったChiesa di Santa Maria del Suffragio。
アブルッツォ州のビーニ氏が、
今回地震で被害を受けた
アブルッツォの歴史的な町並みや建築の在りし日の姿を伝えて欲しい、と
データを送って下さったので、少しずつでも紹介していきます。
そしてそんな折、昨日は約1年振りにGiannaさんとワインナイト。(時が経つの早すぎです。)
Giannaさん行きつけのVINIVINIに行ってきました。
イタリアソムリエ協会認定のソムリエ資格を持つマスターの
お勧めワインはどちらも美味しかった!
一本目はカベルネフランとソーヴィニヨンと何でしたっけ?
なんせマスターお勧めのウンブリアの赤。
このワイン、とにかく香りがとてもよくて二人でフンガフンガ堪能してました。
鶏肉のパテとの相性も良い!
2本目は頼まず、グラスでこれまたマスターとっておきの
トスカーナのシラーをいただきました。
お料理も美味しくて一人でも来たくなる気取らないお店なのに、
何と本日で閉店とか...残念です。
それもあって今回久々の再会が実現しました。
Giannaさんのブログがしばらく更新されていなかったので
どうされているのか心配していたのですが、
お元気そうでよかったよかった。
地震の募金の相談をさせてもらった後は、
お互いの近況から気付けばまたアブルッツォ話に花が咲き、
咲き乱れ、
時間はあっという間に過ぎてゆきました。
てかアブルッツォ行きたい...!
また近く再会できる日を楽しみにしております。
GWにアブルッツォナイトが実現するといいな...
2009年4月10日
決めた una decisione

アブルッツォ州のビーニ氏と約5年振り(!)に電話で話をしました。
私は私なりに出来ることをやろうと決めました。
みなさん、また力貸してくださいませませ。
今回紹介した「絵」はエッシャーの作品です。
彼はアブルッツォの風景が好きで、
よく訪れては作品を残しています。
2009年4月 6日
イタリア中部地震
アンナマリアと連絡取れました。
震源地から近く、被害の大きいラクイラにある大学寮で下宿しているミケーラも無事でした。
ただ、かなりショックを受けているようです。
時間がたつにつれて犠牲者の方も増え続けており、
私も何度か訪れたことがありますが、
街も変わり果てた姿になっています。
州の新聞のサイト
こんな時、自分の無力さを感じるばかりですね。
porgo le mie sentite condoglianze alla famiglia del defunto.
心配...
アブルッツォで結構大きな地震があったみたいで心配です。
州都であるラクイラの近くが震源地だったようで、
アンナマリアの孫がラクイラの大学に行ってるし、
建物も倒壊して被害も結構出ているみたいで心配です。
今連絡しても朝早すぎるしということで、
少し経った電話してみようと思います。
時差がなんとももどかしいです。
2007年12月12日
ガブリエレ・ダヌンツィオ
最近、
アマゾンで新品同様の新古本を
格安で買うことにはまっております。
そこでガブリエレ・ダヌンツィオの
「快楽」
を見つけて思わず購入。

ガブリエレ・ダヌンツィオGabriele D'Annunzio
と言えば、
アブルッツィオを代表する世界的に有名な詩人であり、作家・劇作家です。
アブルッツォ、特にペスカーラの人に「有名人は?」と聞くとこの人を挙げる人が
多いのではないかと思います。
もう少し観光に力を入れねば!と
感じ始めているアブルッツォ(ペスカーラ)では、
最近また彼の存在へ注目が集まりはじめており、
にわかにまちの中でGabrieleD’Annunzioの名前を目にするようになってきました。
ちなみに私はアブルッツォに行くまで全然知りませんでしたが、
昔の国語(イタリアの小学生の)の教科書に出ていた詩を読んだり、
彼の生家(お金持ちです)がペスカーラにあって一般公開されているのを見に行ったりはしました。
それ以外作品という作品は読んだことが無かったので、
「読んどかなあかんやろ」
と自らに課して
とりあえず購入。
この人は、
後にムッソリーニや三島由紀夫にも少なからぬ影響を与えた人でもあり、
果たして私が読みすすめることができるのか。
好きか嫌いかで言うと微妙なところですが、
まあ挑戦してみます。
(ちなみに昔古本市で買った「薔薇の名前」はまだ読めていませんが。)
この人の作品自体は今回初めて手に入れましたが、
この自らの一生を「無類の一生」と言った(まあ皆そうだけど)彼の生き方は、
結構日本でも本されています。
2~3年前にこれまた思わず買った
「ダヌンツィオの楽園」(田之倉稔著)。
…全然読んでないです。
まあでも
アブルッツォを語るときに外せない人の一人であることは確かです。
2007年9月 9日
夏の昼下がりの一コマ

プリモ2皿にセコンド…
いつもお昼は張り切って食べてしまいます。
とりあえずエスプレッソで消化させますが、
いつもかなりの満腹。
パパーニャ(眠気)もやってきて、
1日でボーっとする時間です。
外出ても暑いしね~
ということで、
いつもなら食後は直ぐに畑に行くマリオも
真夏の昼下がりはジェラートを食べたりして、
クールダウン。
みんなでお昼の連続ドラマを見てます。
2007年9月 2日
キエティで散歩
ピーノファミリーが家に招待してくれました。
「今度こそうちで泊まって!!」というこで、
お泊りセットを持ってキエティへ。
夕食の支度ができるまで、
ピーノと2人の子ども達とキエティを散歩。
夏、冬、復活祭。
バカンスシーズンになるとどこのまちでも広場に、
移動遊園地が登場します。

勿論乗りたがるフランチェスコとエマヌエラ。
真っ先にコーヒーカップに乗り込み、
キャーキャー喜びながら、
すごい勢いでカップを回してました。
目、目が…@@@
夏の散歩に欠かせない(冬でも欠かしてないけど)のは
やっぱりジェラート。

まちの人に古くから愛されているジェラート屋。
ショーケースもないシンプルな店内。
ノリのいい店長とのやり取りが楽しいです。
普段あまりジェラートは食べませんが、
ここはみんなにお付き合い。
ストラッチャテッラにピーノが薦めるので
生クリームをトッピングしたものをオーダー。
かなり甘いけど美味しいもんだ。
ジェラートを食べながら家路につきました。
2007年8月21日
多分便利なんだろう…
友達の家で何とも気になるものを発見。

左の丸いバーをクルクル回すと、
無駄なく歯磨き粉(粉?)をチューブから出して
使い切る事ができる。
らしい。
右側は勿論歯ブラシ立て!
決して普及しているものではなさそうだけど、
この家ではどうやら長年愛用している様子。
飽きっぽい私は直ぐ使わなくなりそうやけど、
ちょっとうらやましい。
どこで売ってるんか聞けばよかった。
趣味:発明
とかの親戚とかが作ったんかな…
と思わず顔が浮かんだのが
何でも器用につくるマリオ…
2007年8月17日
アブルッツォへのアクセス
夏休みも残すところこの週末のみ…
経済のことはよく分かりませんが、
世界的な株価の下落でユーロがえらい下がってる…
150円て…もうちょっと早くそれやってくれてると
個人的には非常に嬉しかったのに…
さて、今回のバカンスは3週間。
そのほとんどをフィレンツェを拠点にすごしていましたが、
前半少しだけアブルッツォにも立ち寄りました。
いつかもしかしたら
アンナマリアのパスタを食べに行くかもしれない方のために。
アブルッツォへはどうやったら行けるのか。
(厳密にはペスカーラ)

電車も飛行機もありますが、
ローマからならバスが便利です。
ローマTiburtinaターミナルからARPA社もしくはDI FONZO社のバスで
2時間半から3時間。片道15ユーロ。
このバス道は山並みがなかなか美しくて結構良い。
馬とか羊もひょこひょこ現れます。
今年は相次ぐ山火事の痕が痛々しかったけど。

山並みを抜けて「ちょっと都会じゃないここ」という景色に変わったら
もうそこはペスカーラ。
電車の発着駅でもあるペスカーラCentrale。
目抜き通りを5分も歩けば海です。
ちなみにこの駅舎は結構最近に建替えられたもの。
外見は一見立派だけど、中は薄暗くて活気はないわ、使いにくいわで
情緒はない。

ちなみに、
私が住んでいたSAMBUCETOというまちには、
そこからさらにCHIETI行きの路線バスに乗換え、
10~15分。
スーパーオーシャンを越えたらチャイムを鳴らす準備をします。
このバスは、学校に行く時も乗っていた最も利用頻度の高かったバス。
これに乗るとアンナマリーアのパスタまでもう少し。
見慣れた車窓からの景色に、心身ともにリラックスしてくるのが分かります。
2006年7月10日
Campioni del mondo!!!
夕刊買い占めて帰ってきました。
やってくれましたよ。
寝てまへん。
仕事中もピルロの残像が頭を巡ってました。
幸せな余韻…
というにはちょっと眠たすぎたけど…
何度か仕事中記憶とんだけど…
なんと幸せな日でしょう!!!
Siete troppo belli!!!
みんな格好良すぎ!!
はい、
ペスカーラに彼がいるGiannaさんに誘っていただいて、
Giannaさんの伊友達と一緒に
スポーツバーでイタリアの優勝の瞬間を見届けてきました!
まさに歴史的な瞬間になりました!
サッカーには詳しくないので、多くは語りませんが、
皆みんなホンマに格好良かった。
かなりフランスが攻めてた様に感じたけど
よお粘ったよな~
ほんまにほんまにええ試合やったな~
ピルロほんま渋いな~
カンナバーロ最高やな~
デル・ピエロよかったな~
(インタビューで僕より喜んでる人はいないよって言ってたな)
そしてそして、
94年をつい思い出してしまったPK戦。
最後のシュートは我らが(阪神ファンみたい)
アブルッツォ州ペスカーラ出身のグロッソ!!
(ちょっと原田泰造に似すぎやで。)
ペスカーラのエミリオから
「あいつ(グロッソ)、俺の教え通りよお頑張りよったわ」
とベタなおっちゃんギャグを交えた
喜びのメールも届きました。
地元も盛り上がってるようです。
Giannaさんとほんまに母の気持ちでゴールを祈りました。
最後を彼が決めてくれるなんて、
ホンマにホンマに嬉しかったよ~
イタリアのメディアの様子を見て余韻を楽しみたい方は
ライクリック覗いてみてください。
http://www.raiclicktv.it/raiclickpc/secure/homePage.srv
「campioni del mondo」をクリックすると
ガットゥーゾの試合直後のインタビューから始まります。
しばらくはAZZURIのことを考えて
思い出し笑いする日が続きそうだわ♪
ありがとう。ありがとう。
2006年7月 6日
Forza grande Italia *Festeggiamenti a Chieti
NHKのダイジェストでまたまた興奮!!

そんな中、キエティのピーノから
昨夜のお祭り騒ぎの写真が届きました。
普段は静かな丘の町でもこの
ぱらりらぱらりら
状態。
「この後どうなったかは言わずもがな…
ハチャメチャのお祭り騒ぎです…」
とのこと。
そらそやろな~
盛り上がってるな~
一緒に盛り上がりたいぞ~
2006年5月21日
気持ちアブルッツォ faccio finta di essere in abruzzo
え~っと。
怒涛のプレゼン月間で、
文字通り、休む間もなく
提案書作成マシンと化しております。
そんな中、
このブログを通じて知り合った
sakaeさんが
来週からペスカーラに行かれる、
ということで、
夜中にごそごそと、
ガイドブックやら地図やら写真やらを
引っ張り出して
気持ち
アブルッツォ逃避行
させてもらっております。
ちなみに、写真は、かろうじてロンリープラネットや
陣内秀信さんの本で紹介される、
アブルッツォの州都ラクイラの
99の噴水です。
このピンクと白の幾何学模様が
ラクイラやな~
また、次回実際に訪れて、
本当に99あるのか、
確かめてください。
当然、アブルッツォは私のものでも何でもありませんが、
今回、色んなご縁で
ペスカーラまで足を伸ばして頂けるというのは、
我がことの様に嬉しいです。
今回はどうやらペスカーラだけになりそうとのことですが、
イタリアの他の観光地にはない(!)
あのふつ~な感じを逆に楽しんできてください。
BUON VIAGGIO~
2006年4月26日
待ち望んでいたこと
さて。
昨日、私がさんざん「へなちょこ」(←自分のことは棚に置く)呼ばわりしていた
某マルコ氏からひっっさしぶりに電話がありまして、
電話の本件は全く別のことだったのですが、
ついについについについについについに、
無事卒業した
という言葉を聞く事ができました(T_T)。
思えば初めて出会ったのが2003年の2月。
その時から、すでに卒論執筆中だった彼。
確か、テーマはアブルッツォにゆかりのある
誰かの墓か何かの研究で、
何度となく泣き言(というか泣いていた)を聞かされては、
叱咤激励してきましたが、
それはそれは
これまで嫌なことを避け続けてきた(←自分のことは棚に置く)
彼にとって
暗くて、孤独で、地道で、後戻りのできない
そんな作業であったと思うので、
本当に本当に
ホッとしたし、嬉しくて、
ちょっと泣きそうになりました。
よう、頑張った!!
しかし、
珍しく、
私が機嫌よく、優しく接したので、
気をよくしたのか、
どさくさに紛れて
「ukoが協力してくれたら日本語の勉強ができるのにな~」
と、
かなり前からほったらかしにしていた
頼まれごとについての
ダメだしをされました。
こんにゃろ。
ヒトノセイニスルナ。
2006年3月13日
3月は変な奴 Marzo Pazzerello!
せっかく、春到来!と喜んでいたのに、やっぱり来ましたね、
寒の戻り
って言うんですか?
大阪でも雪が舞っていて、
春を心待ちにしている私としては、
正直かなりへこみました。
そう言えば、
イタリアにもこの時期の
不安定な気候を言い表す諺があったな…
と思い出して、
CHIETIに住むPINOに電話で確認。
"Marzo pazzerello,prima il sole poi l'ombrello"
「3月は変な奴。晴れだと思ったら雨かよ~」
てな意味です。
しかもなんと、今日はアブルッツォも雪だったそうな!
まさにMarzo pazzerelloの仕業です。
ということで早速写真も送ってもらいました。
さらに寒そう…
さすがCHIETI…
ちなみに3年前には、4月にも雪が降って
○十年振り~!!←忘れた
とかでちょっと話題になったな。
これはその時(2003.4.7)の写真。
なんにせよ、寒さに飽きた私にとっては、
ホンマ、もう勘弁してください。です。
そこんとこ、どうぞよろしく。
※写真はどちらもCHIETIにて、ピーノ撮影
2005年7月20日
stinghe boneは誰の骨か?! Che cos'e` "stinghe bone"?

このブログのタイトルである「Stinghe bone!」
英語をちょっと知る人なら「何の骨やねん!」とつぶやいてしまったかもしれません。(ちなみに私は言われるまで、全く気付きませんでした。)
この言葉、実は、イタリア中部にあるアブルッツォ州の方言で「私は元気です」という意味。
少しイタリア語に触れたことのある方ならご存知だと思いますが、標準語は「Sto Bene」です。
大阪に生まれ育ったせいか、方言大好きな私。アブルッツォ弁にも挑戦してるけど難しい!でもアブルッツォの人に言わせると「面白い話は方言じゃないと伝わらない」らしく、上方漫才贔屓の私にはすごく共感できるのですが、面白くなればなるほど訛りが激しくなり笑いについて行けなくなるのは悲しい…

ちょっとアブルッツォの写真でも。
これは5月の第1日曜日にPretoroという町で行われるお祭りでのショット。
若者達が誇らしげに持ってるのは裏の山で採ってきたヘビ。アブルッツォにはヘビにまつわるお祭りがいくつかあるのですが、また別の機会にちゃんと紹介します。
今回は、なんか誇らしげな若者達が「そっちはどうよ?」「俺?バリバリ!(Stinghe bone!)」てな会話が飛び交ってそうなので掲載します(かなりこじつけ)。ちなみに下は、そんなお兄様方を見て、「これなら怖くないもんね」と売店のおもちゃのヘビを握りしめる友人ピーノの息子フランチェスコ少年。買ってもらって誇らしげでした。