2011年2月18日
Prata d'Ansidonia

Caepstranoを後にして我々が向かったのは、
Prata d'Ansidonia。
昨年に引き続き、
皆様にご協力頂いた震災支援金を送金した村です。
うまく市長(村長?!)とお会いできたらいいなと思っていましたが、
あいにく仕事でローマにおられたので電話でだけご挨拶。
それでも、「comune(役所)に職員が出勤しているから」
ということでComuneを訪問することに。

震災前までcomuneがあったところを訪ねてみましたが、
人の気配がなくどうやら移設している様子。

ビーニ氏も震災後は避難所しか訪れていなかったらしく、
事情が分からず、町の人に聞いてみようと試みるも、
すれ違う人もおらず...
結局役所の職員さんと連絡を取りあって、無事到着。

町のはずれにポツンと建っていた建物。
コーヒーメーカーの看板が残っているということは
元々は飲食店だったのでしょうか。

がらんとしたところに、
とりあえず必要なものを持ってきたという感じでした。

市長さんからの電話を受けて、
私たちを待っていって下さった職員の方々と
報告を兼ねて少しお話。
去年送金したことも覚えてくださっていました。
次の約束もあったので、
記念撮影をしてComuneを後に。
私たちの支援金が少しでもお役に立てますように...
皆さん、本当にどうもありがとうございました。

Prata D'Ansidoniaもサフランの生産地。
オレンジのネットで囲まれているのがサフラン畑。
畑を荒らす野生動物対策として、
ネットを電流が流れているそうです。
ラクイラに向かう途中PrataD'Ansidoniaにある
古代都市遺跡Pletuinumにちょっと立ち寄る。

ローマなどに行くと古代遺跡と「共存」しているという感覚に
慣れてしまい時間の距離感が麻痺してくるのですが、

ここのように打ち捨てられたままの街の姿は、
逆に諸行無常、盛者必衰を感じ、
昔のまちの姿に思いを馳せてしまいます、

doriさん、初アブルッツォで
体感する間もないくらい写真任せきりにしてごめんね、ありがとう。

貝殻発見!
昔は海だったのか?それとも当時の住民たちが貝を食べていたのかな...?
しばらくタイムスリップして、
いよいよラクイラへ。
1時間くらい前からどんどんずれ込む待ち合わせ時間の調整で、
ビーニ氏の携帯鳴りぱなしです。
ラクイラが近づいてくると、
車窓から震災後に建てられた住宅が
現れ始めました。

意見は分かれるところでしょうが、
アブルッツォの風景としての美しさを
かけがえのない州の資産だと考えているビーニ氏にとっては、
無秩序で無機質な復興住宅は、
「何もここに建てなくても...」「この色にしなくても...」
と感じることが多い様です。
そんな話をしながら、ラクイラに急ぐ我々。
待たせている人がいるはずなのに、
「ここのパンが美味しいらしいから奥さんに買って帰る。」
とひとつの店の駐車場に車を停めるビーニ氏。

確かにさっきまで殆どすれ違う車もなかったのに、
ここだけ車が頻繁に出入りしています。

「dolceも美味しいよ」と進められ、
せっかくなので、
私たちもアンナマリアとアレッシアにお土産として購入。
量り売りでしたが驚く程安かったです。
さて、気を取り直してラクイラへ向けて出発。

1年半たっても残る瓦礫の山が随所に。

震災復興アピールのシンボル的な存在となった復興住宅、
去年は工事中だったところを写真に収めていました。
↓去年の写真

ただ、不便な立地のため、思ったほど入居希望者が集まらなかったという話も。
実際の入居状況はどうなんでしょうか。
もうすぐラクイラです。
2011年2月17日
Capestranoへ
山の中で息を潜めるようにして建つ
Chiesa di San Pietro Oratriumを後にして、
我々が向かったのはCapestranoの中心市街。
(この教会もCapestrano市に属します)

なだらかな丘陵の地形に沿って広がる街並みに、
教会の鐘楼とお城の塔が絶妙なアクセントとなって聳え、
いつも見とれてしまう美しいBorgo、Capestrano。
隣接するNavelliと同様にサフランの生産地でもあります。
実はいつも下から眺めるばかりで、
町の中には入ったことがなかったので、
今回はDoriも一緒だし、
と町を見学してみることに。

まずは、
15世紀トスカーナ出身で、
アマルフィの最初の公爵(Duke)となった、
Antonio PiccolominiによるPiccolomini城。

特に入場料とかを取られることもなく入れました。

城内で我々を出迎えてくれたのは、
この町の有名人、
このブログではすっかりお馴染み(?!)Guerriero di Capestrano。

先客にゃんこのガイド付き。


中は人気もなくがらんとしており、
逆に時代から取り残された城の雰囲気を醸します。

さっき下から見上げていた塔が間近に。

町一番の高台から
私たちが通ってきた道を見下ろします。

反対側はCapestranoの町が広がります。

太陽カモ~ン!!
お城を後にして、

広場から見える教会を横目に車に乗り込み

中心地から少し離れたところにある
15世紀に建てられた修道院、
Convento di S.Giovanni da Capestranoへ。


町の守護聖人でもあるS.Giovanniは、
オスマントルコのヨーロッパ侵攻が、
ベオグラードで阻止された際に、
ハンガリー軍として兵を集めて戦ったとされています。
そのためCapestranoは人口1000人足らずの小さな町ですが、
ハンガリーの首都ブタペストと姉妹都市提携をしています。

修道院から眺めるCapestrano。
少し歴史の勉強もして町を後にします。
次なる目的地Prata d'Ansidoniaに向かう道中、
羊の大群に思わず車を止めて見ていると、
その名も「アブルッツォの羊飼い(pestore abruzzese)」という
牧羊犬たちがすぐに我々を見つけて、
「不審者発見!」
とばかりに向かってきました。

さっさと車にもどりましたが、
その貫禄とプロな仕事振りに逆に感心。
さて、羊もいっぱい見られて
ますますAbruzzoを実感というところで、
Prata d'Ansidoniaへ行きましょう。
2011年2月12日
魔方陣の謎?!
最後に去年のアブルッツォ記を書いてから、
しばらく振りでした...最後はここ→★
ビーニ氏がいつもの様に定刻に迎えに来てくれたので、
doriと3人でラクイラに向けて出発!

BGMはFrancoBattiatoて...
渋いな...
あいにく、
快晴とは言えず、時々青空が申し訳程度に顔を出すものの、
重~い雲が行く手に立ちはだかります。

せっかくdoriさん初アブルッツォやのに...

前方にBussi sul Tirinoが見えてきたら、
いよいよ国立公園に突入です。
ラクイラに行く前に、
Capestranoに寄ろうと車を走らせていたら、
ビーニ氏が
「この近くにukoも行ったことがない
珍しい教会があるから行ってみよう。」
といきなり大きな道路を外れて林の中の砂利道へ...
すると、
川のせせらぎが聞こえる林の中に、
突如とてもシンプルな教会が姿を現しました。

Chiesa di San Pietro ad Oratorium
無断での見学はできないのですが、
ちょうど先に来ていた何組かの見学客が、
守衛さんを呼んでくれていたので、
一緒に待たせてもらうことに。
こんなに目立たない教会なのに、
既に見学者がいたことは驚き。

教会周辺はハイキングコースになっているらしく、
ベンチや看板などがありました。
下の方から川が流れる音が聞こえるので、
行ってみたい衝動に駆られましたが、
その前に守衛さん登場。

皆でぞろぞろ教会の入り口へ向かう。

窓といい、扉といい最小限の開口しかない、
シンプルなファサード。

それでも美しい装飾に見とれてしまいます。
この教会は752年にロンバルド王の命で建築が始まり
756年に玉座が設置されたと言われています。
(現在もらった資料を読み始めてますが、
専門用語多すぎて思うように進まず、
バクッとした解説ですみません)
その後、12世紀に改修され、
フレスコ画が描かれます。


自然の光に浮かびあがる美しいフレスコ画。
個人的にはこの時期の素朴な色遣いがとても好きです。
会った時から、
doriの新しいデジカメが気になっていたビーニ氏。
このフレスコ画をできるだけ正面から撮って欲しいとオーダー。
後日談ですが、ある雑誌にこの時の写真が挿入されるかもとの連絡が、
これは楽しみ!!
少し話がそれましたが。

内部は12世紀に改修されているので、
Collemaggioなど、
ラクイラにある中世の教会と似ています。
ここもまた、震災の影響を少なからず受けています。
薄暗い教会を出ると、
ビーニ氏に呼び止められました。
「ukoここには、もうひとつとても面白いものがあるんだよ。」
と、指差すところにあったのがこれ。

ラテン語のいわゆる回文で。
SATOR
AREPO
TENET
OPERA
ROTAS
上記の様に書かれていて、
上下左右から読んでも同じ言葉になります。
イタリア語の意味は、
ROTAS OPERA TENET AREPO SATOR
"ovunque - opera - tiene - aratro - seminatore"
となるらしく、ネットで日本語の解説を探すと、
SATOR式回文、魔方陣と呼ばれているらしく、
呪いに使ったとか何だか訳ありなページなんかもありました。
それにしても、
なぜ教会のファサードにこの様な回文があったのか、
なぜひっくり返ってるのか、
謎は深まるばかりです...
恐らく頂いた資料には何らかの解説があるのでしょう...
頑張って読んでみます。
謎は残しつつも、
新たなアブルッツォ遺産に出会えたのは大きな収穫。
次に目指すは、
Capestrano!!