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2010年6月17日
仮設テント村@Cansatessa
話を2009年8月のアブルッツォに戻します。
Goffredo氏と再会の約束をして、
Pganicaを後にした私たち。
ラクイラ市街へ行く前に、
ビーニ氏の息子パオロさんが
ボーイスカウトでボランティアをされていた、
Cansatessaの仮設テント村に立ち寄りました。

ラクイラ市街から西へ約5キロに位置する
Cansatessaには、
ラクイラ市の被災者が避難していました。
真夏の暑さを少しでも和らげるために、
テントには日よけのシートが張られていました。

敷地内には、
小さな教会や日用品店のほか、

ボッチェ(砂浜などで行うシンプルな球技。アブルッツォでは結構メジャー)場や、
サッカー、卓球場が作られていました。

また、ボランティアの人たちによって、
ダンスナイトや水遊びのイベントなどが、
企画されていました。

他にも、
みんなで集まって食事ができる、
大きな食堂テントや、
イタリア人には欠かせない集いの場Piazza(広場)も
作られていました。
多い時には2万人を超える被災者が、
こうしたテント村に避難していました。
まだ、ホテルや仮設住宅での生活を
余儀なくされている方は多いですが、
こうした仮設テント村は、
昨年12月1日の報告で、
全て閉村しています→★
投稿者 uko : 2010年6月17日 16:56
コメント
某イタリアの首相は至福を肥やす法案改正には勤しむ&世界的アピールになりそうな時にはラクイラに手を差し伸べているようなふりをするけど、話題性がなくなったらさっさと切っちゃうんですよねぇ(-_-)
悲しいかなAbruzzoはまだまだ知名度が低いから、なかなか募金状況も芳しくないようだし・・
ラクイラ圏は何度も地震災害にあっている地域なんだから、国をあげてその辺のこと、しっかりと守って欲しいなって言うのが私の素直な感想です。
これからまた暑い夏。
閉村で立ち退きを余儀無くされた方々はその後どうなってるのかしら・・やはり一度友人を押し切ってラクイラの今の姿を認識しにいきたいなと思っています。
投稿者 Gianna : 2010年6月21日 09:49
特に寒さの厳しいエリアなので、テントは冬が本格的になる前に撤去したようです。
震災直後は日本のプレハブ住宅や、木造住宅が注目されていたという話も聞きましたがその後どうなっているんでしょうね。
ジャンナさんのアブルッツォ在住のお友達の方々って震災との関わりって今どんな感じなんですか?
投稿者 uko : 2010年6月21日 14:39
あまり長く話時間がいつもないんで、詳細は知りませんが、特に何か活動してる子っていなかったような気がします(-_-)
Abruzzoって以外と県意識が強いというか、県単位なとこないです?!あんなに近いけど、やはりラクイラ県は遠いところ・・って雰囲気があるんですよねぇ・・まぁ私があまり知らないだけかもしれないけど。
日本も地震の多い国だから、その辺りの救済に手を差し伸べることができればいいですね。何だかいつも自分の無力さを感じて↓な気分になっちゃいます。
投稿者 Gianna : 2010年6月21日 16:13
>Abruzzoって以外と県意識が強いというか、県単位なとこないです?!
アブルッツォに限ったことかどうかは不明ですが、それは私も感じたことあります。昔もキエティ人とペスカーラ人との狭間で、第三者の理解を超える醜い争いに巻き込まれたことがあります・汗
私も仕方ないんだけど気ばかりが焦ってしまう毎日です。コツコツできることをやるしかないんですけどね。
投稿者 uko : 2010年6月22日 19:17